瀬戸内寂聴さんの新作は『秘花』。85歳で現役の作家というのも敬服というか驚異ですが、主人公は佐渡に流されてからの晩年の世阿弥。活躍したのは15世紀で室町時代。能を芸術として確立した人です。世阿弥は今ふうに言えば著作を多く残した人で、代々秘蔵され、20世紀になってはじめて公開されました。このため、「原作」がそのまま残っています。最も有名なのは『風姿花伝』。花伝書とも呼ばれます。
今回のタイトルにした「初心忘るるべからず」は、これとは別の『花鏡』に出てくるのですが、意味を誤解している人がとても多い。どんな誤解かというと、初心とは「何かを始めるときの初々しい気持ち」だというもの。したがって、入社式などで新人を前にして、これを「贈る言葉」にしている人が結構いるようですが、残念ながら間違いです。
初心とはマニュアルである
ではどんな意味なのか。解釈は必ずしも一つではないのですが、最大公約数で言えば、世阿弥は能が上達していく過程を7つの「発達段階」に区分していて、それぞれの段階の初期の技能レベルが「初心の芸」。ここから先は解釈する人によって強調する点が違いますが、少し「意訳」すると、初心とは、「入門者や弟子を教育する際に有効な、記号化された知識・技能体系」なんですね。これを紙に書くとマニュアルになります。
名人やそれに近い人になると、マニュアルがなくても綺麗に(名人に綺麗は失礼かもしれませんが)舞える。しかしそれだけでは入門者や弟子たちを教育できません。彼らに名人の動きを教えても教育や伝承には、ならないんです。習熟段階に応じたマニュアルが必要です。だからベテランになっても「入門者や弟子への教え方を忘れないように」というのが「初心忘るるべからず」。つまり「初心忘るるべからず」とは、初心者に言う言葉ではなく、ベテラン、つまり教える人に対して言われる言葉だということでもあります。
初心を思い出す、初心を取り戻す
時代は下って、日本では経済も企業も好調で、若い社員をたくさん採用するようになりました。そしてそこで出てきている問題は、能力の高いベテラン社員は多いのに、彼らには教えた経験もノウハウも少ないという点です。何しろ、ずっと採用を絞っていたので、教える相手がいなかった。必然的に、経験もノウハウもなくなってしまったのです。もちろん、技能や知識は秀逸です。しかし教え方がわからないので、途方にくれている。初心を忘れてしまった状態だといえるでしょう。初心を思い出し、取り戻し、そして伝承していく必要があるのです。