なくなった「能力のモノサシ」
日本企業の賃金制度は、年功+役職型から資格型へと転換してきました。なぜそうなったのか。年齢が上がり経験年数が増えても、能力がこれに比例して向上するわけではないので、能力そのものを評価して資格を付与し、賃金に反映させようというのが趣旨でした。
ただしこれはタテマエであり、ホンネとしては、課長相当の年齢になっても昔のようにポストが増えないので、課長相当の資格を付与することで待遇は課長並みにしてあげようという、「優しい制度」だったということもできます。そこでは、実質的に年功制が生きていました。
残念ながら、苦難の90年代を経て、このような優しい制度はなくなってしまいました。資格は業績に応じて付与されるものになっています。つまり「資格=業績=結果」ということになります。換言すれば、能力を反映する、あるいは測定・評価する人事制度は、なくなってしまったということです。これは結構困ることで、たとえば、社員の能力開発の基準、目標、あるいはモノサシといったものもなくなってしまったのです。
保有能力から行動特性へ
コンピテンシーは、このモノサシに代わる役割を担うものであり、一般的には「高い業務成果を生み出す為の行動特性」の意味で用いられます。1970年代に米国国務省が、「優れた職員が行動レベルで発揮している顕在能力」をモデル化し、職員採用の選考基準としたのがはじまりとされています。
コンピテンシーは顕在化した能力…つまり発揮能力なのですが、成果ではなく、行動特性に注目します。初期の研究で、継続して高い業務成果をあげている人を観察してわかったのは、「スキルや知識に裏付けられた行動特性」、あるいは「先天的な性格などに依存する行動特性」よりも、「仕事に対する取り組み姿勢や考え方に基づいた行動特性」が業績と関係しているということでした。現在では、このような、「仕事に対する取り組み姿勢や考え方」のうち、高業績者が業務遂行において実際に発揮しており、かつ他者にも求めることができるものを、コンピテンシーと呼んでいます。つまり、平均的な社員には、モデルとなる高業績者の行動特性やその前提となる考え方等を模倣すること、そしてそれによって成果をあげることが期待されるのです。
「発揮能力=成果」という誤解
コンピテンシーは、日本ではよく発揮能力と訳されます。それ自体は誤りではないのですが、発揮能力=成果とすると、業績評価と変わりがなくなってしまうことに注意が必要でしょう。また職務(地位、総合職か一般職か、あるいは契約社員か)や職種(営業、経理等)などによって、モデルとすべき行動特性が異なることも多いと思われます。コンピテンシーは多様であることが理解されなければなりません。