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第5回:ピグマリオン(PYGMALION)
武藤泰明

 マイフェアレディはご存知ですよね。オードリー・ヘプバーンが貧しい花売り娘イライザで、ひどい下町訛りだったのを、音声学のヒギンズ教授が猛特訓して、貴族のような美しい英語を話すようになる。私がよく覚えているのは、「スペインでは雨は主に平原に降る」。この言葉をイライザが何度も言わされているシーンです。日本語だと何だかわかりませんが、英語だと

 The rain in Spain stays mainly in the plain.

つまり4つ韻を踏んでいて、発音の練習をしていたのだとわかったのは高校生になってからでした。

 この映画は1964年に作られたのですが、原作が4つ・・・というより4世代あって、映画の一世代前は同タイトルのブロードウェイ・ミュージカルで1956年初演。二代前はイギリスの劇作家ジョージ・バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』で1914年ロンドン初演。三代前は19世紀後半のイギリスの喜歌劇の作詞家ウィリアム・ギルバートの戯曲『ピグマリオンとガラテア』、そして原典はギリシア神話で、ピグマリオンはキプロス王の名前です。何しろもともとが神話なので、関連するオペラや映画、もちろん絵画もありますが、「直系」をつなげるだけでも5世代になるということです。原典は、自分がつくった象牙の像にピグマリオンが恋して、神に頼んでこの像に魂を入れてもらい、ガラテアという名前を与えて結婚するという、いかにも神話なのですが、要は「思い込む」「こうなってほしいと熱心に考えて信じる」ということ。

 教育学や心理学の世界では「ピグマリオン効果」というのがあります。たとえば30人のクラス担任の先生に、学年のはじめ(つまり生徒のことを何も知らない段階)に、30人のうちA君からJさんまでの10人は極めて知能指数が高いと説明しておきます。実際はこの10人は、30人の中からテキトウに選んでいるので、知能指数が高いというのは大ウソなのですが、それで1年経ってみると、その10人の成績が、明らかに高くなっている。これがピグマリオン効果です。つまり、「あの子はできる」と予言されると、先生の対応が変わるので、結果として本当にできる子になってしまう。逆に言えば、あの子はだめだという先入観があると、伸びなくなってしまうということでもあります。

 このような現象は、ビジネスの世界でも、おそらく日常的に起きているのではないかと思います。一流大学を出た若手社員は、おない年の高卒の社員より、きっと優秀に見える。だから頼む仕事、任せる仕事も違っていて、結果として成果も差がつく。ありそうな話です。

 ですから、企業の管理者が部下を伸ばして、個人と組織がより高い成果をあげたいと思うのであれば、「この人たちは皆優秀なのだ。だから高い成果をあげるに違いない」と思い込んで接することが必要なんですね。期待が人を育てるんです。

 問題があるとすれば、企業の管理者は教育者ではないということです。そもそも、部下の能力を高めることを自分の使命と考えているかどうか、あるいは能力を高める方法を知っているかどうか。答えは必ずしもYESではありません。育成より評価を重視するほうが公平だと考える真面目な管理者もいるでしょうし、育成方法を知らぬがゆえに「ひいきの引き倒し」になってしまうことも、大いにありそうです。

 余談ですが人気のあったブロードウェイ・ミュージカル「マイフェアレディ」の主役はジュリー・アンドリュース。しかし映画化にあたり、すでに有名な大物女優が必要だとの判断から映画ではオードリー・ヘップバーンが主役になりました。そしてジュリー・アンドリュースは同年の「メリー・ポピンズ」に主演してアカデミー賞主演女優賞を獲得、そして翌年にはアカデミー賞女優として「サウンド・オブ・ミュージック」に主演しています。つまり、マイフェアレディの制作者は、ピグマリオン効果を信じず、信じたのはメリー・ポピンズの制作者のほうで、結果としてジュリー・アンドリュースが多くの栄誉に輝いたのです。

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