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読者が拓く!バスケットボール

第22回:ジャッジ(審判)
2008年9月
武藤泰明

行列のできる法律相談所

 「行列のできる法律相談所」というテレビ番組が人気である。毎週いくつかの「事件」をとりあげて、4人の弁護士がYESかNOかの判断を示す。私が面白いと思うのは、弁護士によって判断が違うところである。橋下弁護士(もう大阪府知事になってしまった)が「慰謝料がもらえます」と言っても、住田裕子弁護士はだめですと言う。テレビ的には「慰謝料がもらえる確率は60%」みたいな結論になって、それ以上は争わない。

 司法試験に合格した人が就く職業には、検事、裁判官、弁護士などがある(もちろん、サラリーマンや教師になってもかまわない)。この中で、中立的なのは裁判官だけである。検事は犯罪者を検挙するが、検挙された側には弁護士がつくので、両者の意見はもちろん対立する。弁護士は依頼人の利益の最大化を目的として活動するので中立ではない。だからAさんとBさんが法廷で争っている場合、弁護士はAさんに依頼されればAさんにトクになるように行動するが、依頼人がBさんであれば、正反対のことを平気で言う、そんな職業なのである。正解はない。考えてみれば、みんなが納得するような正解があるなら裁判官は要らないはずである。納得しないから、結論を出す裁判官が必要になるのだし、それに不服であれば上告(上位の裁判所に再審理を求めること)もできるのである。

スプリット・デシジョン(Split Decision)

 ボクシングでは、審判によって勝敗の判断が分かれることをスプリット・デシジョンという。直訳すれば「分かれた判定」。たとえば、1ラウンドの満点が10点として、12ラウンドの試合で審判Aが120対117、審判Bが116対117だとスプリット・デシジョンである。団体にもよるようだが一般的なルールは、この例の場合、3人めの審判Cがどちらかの勝ちとしていればそれで決定。Cが引き分けなら引き分けである。また3人の審判のうち2人が引き分けなら、もう1人の判定によらず引き分けになる。

審判が3人いるのは、そのほうが公平性と納得性が高いからである。3人の審判が同じ権利を持っている。裁判でも、上位の裁判所では裁判官が複数いて一人1票の多数決なので、基本的にはボクシングと変わらない。裁判には引き分けはないが、結論を出すという点は同じである。結論をださなければならないのが、審判の宿命である。

公平無私は、けっこう難しい

審判の人数や役割分担・権限は、競技によってさまざまである。バスケットボールは2人または3人で、主審と副審の権限は等しい。野球やサッカーは、グラウンドが広いせいもあるが、審判の役割分担が明確である。野球で言えば、セカンド塁上のクロスプレーで、主審や線審がアウトかセーフかを判定することはまずない。サッカーではオフサイド、及びボールがサイドアウトした際のプレー権の判定は第二、三番目の審判(線審)の役割である。逆に言えば、主審の動き回る範囲と判定の範囲は広いので、判定に対する不満も多くなる。フェンシングの場合は剣先が相手に触れると電気が流れて判定できるようになっている。人の目で見たのでは、どちらの剣が先に相手に触れたかわからないからである。審判は絶対だと言っても、その判定能力には人間の限界があると言うことだ。北京オリンピックの競泳では、準決勝の2つの組で泳いだ選手がそれぞれ同タイム、それも全体の8位で、どちらかが決勝に進出できるという珍しいケースがあった。この場合は機械(時計)でも判定できないので、この2人で再試合をした。プレー・オフではなく、スイム・オフというらしい。過酷と言えば過酷だが、他に判定の方法がない。

このように、審判が公平無私に判定しても問題は起きるが、公平無私でないケースもある。最近のハンドボールの「中東の笛」は論外としても、昔から、ホームタウン・デシジョン(ホームタウンのチームに判定が有利になる)という言葉がある。無私かどうかは別にしても、完全に公平にというのは難しい。

審判をしよう

で、今回のオススメは、審判をしてみることである。あまり大きな大会でなければ、試合をしていないチームのメンバーが審判をするということも多いと思う。でも、審判をするのは控え選手ということが多い。できれば、試合に出ている選手に審判をしてほしい。試合に出ていると、判定に腹がたつこともおおいはずである。審判をすれば、判定がどれだけ大変かということがわかる。審判をしてくれる人がいるおかげで、ゲームが成立する。何でもそうなのだけれど、当事者だけで成り立っている活動など、ないのである。それを実感するだけでも、バスケットボールをしている意味がある。

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