武藤泰明ホームページ

読者が拓く!バスケットボール

第17回:シューズ
2008年2月
武藤泰明

済州島のゴルフ場の貸しクラブ

 サッカー関係の仕事で韓国の済州島に行ったときのことである。サッカーの試合は毎日はできないので、間に自由行動日が入る。そのうちの1日はゴルフをすることに決めていて、4人でゴルフ場に行って、ゴルフクラブを借りてコースに出た。

 ラウンドしはじめてすぐに気づいたのは、4人の貸しクラブが、すべて同じものだということ。一人分が14本。すべて新品同様で、クラブが入っているバッグも新しくて、しかも皆同じものである。

 済州島は朝鮮半島の南にある、リゾート地である。だからゴルフをしようと言う人も多いはずで、ゴルフ場は観光客のために立派な貸しクラブを用意してくれているのだけれど、結果としてどのバッグに入っているクラブも皆同じなので、自分のクラブと言うのがなくなってしまう。次は5番アイアンで打ちたいと思えば、4つのバッグのどれか1つから5番アイアンを取り出して使えばよいのである。5番アイアンは4本あるので、私がどの5番アイアンを使っても、残りの3人は困らないのだ。楽なような、不思議な気分である。

 で、言いたいのはクラブの話ではなくて、シューズのほうなのである。ゴルフシューズは日本から持っていった。私だけでなく、4人ともそうである。たぶん、貸し靴というのもあるのかもしれないが、使う気にならないのだ。借りるくらいなら、ゴルフシューズかスニーカーを買っただろうと思う。

スポーツの巨大メーカーは靴から始まっている

 そのシューズについて、最近気がついたことがあって、それはスポーツの大企業は、シューズのメーカーが多いということなのである。

 世界の二大メーカーはアディダスとナイキ。どちらも売上高は1兆円を超えている。そしてどちらも、スポーツシューズを出発点としている会社なのである。

 1962年、米国オレゴン大学の陸上部のコーチだったビル・バウワーマンと選手のフィル・ナイトはブルーリボン・スポーツという会社を設立し(コーチと大学生の選手が一緒に会社をつくるところがアメリカらしい)、はじめはオニツカ・タイガー(現在のアシックス)のシューズを日本から輸入して販売していたが、まもなく自社でシューズを作り始めた。「ナイキ」ブランドの誕生である。

 アディダスの誕生は1920年代のドイツ。創業者がアディ・ダスラーなので社名がアディダス。ドイツは地域のスポーツクラブが盛んな国なので、アディダスもいろいろな競技のためのシューズをつくっていた。サッカーシューズから始まったのではないということである。

 日本では、スポーツ関連の製造業で売上高が現在一番大きいのはアシックスで、この会社もスポーツシューズのメーカーである。つまり、大きくなっている会社は、世界でも日本でも靴のメーカーなのだ。

スポーツシューズのメーカーが巨大になる4つの理由

 では、なぜ靴のメーカーが大きくなるのか。理由を考えてみたのだけれど、おそらく4つある。

 第一は、シューズが「自分用」だからである。みんなで使うとか、人のを借りるとかいうことがない。

 第二の理由は、つくるのにかなりの技術が必要だということ。

 第三は、ある競技用シューズのために開発した技術を、他の競技のシューズにも使えること。シューズにはスパイクのあるのもないのもあるし、ランニングシューズとバスケットシューズでは重さも違うが、履くのは同じ人間である。結果として、成功したメーカーはいろいろな競技のシューズを作ることができるようになる。

 そして第四は、シューズは損耗するという点。つまり、一定の頻度で買い換えなければならない。

 この4つのうちでどれか最も重要かというと、私は一番なのではないかと思う。アテネオリンピックの女子マラソンで1位になった野口選手は、ゴールした直後に、靴を脱いでそれにキスしていた。メーカーに頼まれて宣伝のためにやった・・のではないらしい。アテネのマラソンコースの道路の舗装は大理石が混じっていて、硬くて滑りやすい。だからサプライヤーは、ふだん日本で選手が使っているのとは靴底の素材が違うシューズも用意した。選ぶのは選手である。野口選手はアテネ用を選び、前日にそれを抱いて寝た。そしてそれを履いて走って1位になった。

 シューズは、気合と思い入れの対象になるのだ。


©Copyright Yasuaki Muto. All right reserved.