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第3回:サラリーキャップ制
2006年11月
武藤泰明

●松坂選手の移籍金と格差社会

 年末年始のスポーツ界恒例の話題のひとつが契約更改である。2006年はこれに先立って、11月にプロ野球の西部ライオンズの松坂投手のMLBへの移籍金がメディアでも大きく取り上げられていたが、何しろ60億。米国のプロスポーツの金銭感覚は日本と1桁違う。松坂に限らず、一人の選手の所属が変わることいついて、10億円単位のお金が動くのが当たり前になっている。

 一つの新聞が、スポーツ面では松坂の移籍金を報道し、社会面では所得格差が広がっているとか、貧困が再生産されていて問題だと書いているのは、気分としてはどうもしっくりこない。平和だからなんだろうなあとは思うけれど。要は、スポーツの世界での所得格差(松坂の60億は移籍金なので松坂がもらうわけではないのだが、年俸ももちろん高くなるだろう)は、世の中で肯定されているということなのである。

●年俸が高騰すると試合がつまらなくなる

 米国ほどではないが、日本のプロ野球も年俸がかなり高い。新聞やテレビの報道は「推定」をつけているがあれは「契約の一方の当事者である球団は公表、ないし公表を了承していない」という程度の意味であっておそらくはほぼ正しい数字だと思われる。1億円を超えていないと一流選手ではないと思えるような高水準である。

Q.なぜそんなに高いのか

A.払えるからである

Q. なぜ払えるのか

A. 親会社が出してくれるからである

 というのが日本の状況であろう。球団、そして選手というのは、親会社にとっては広告の媒体である。だからお金が出る。ではほかのプロスポーツではどうかというと、サッカーのJリーグもバスケットボールのbjリーグも、野球ほどには高くないはずである。もちろん、野球はWBCで世界一、サッカーはワールドカップでベスト16に入れなかった。競技の世界的な広がりはかなり違うとはいえ、世界一は世界一であり価値がある。bjリーグは、世界との距離は、Jリーグよりさらに大きい。だから年俸水準に差があっても当然といえば当然?なのだろう。

 とはいえ、選手の年俸が高騰することには問題もある。それは「払えるチーム」と「払えないチーム」とで、戦力格差が大きくなってしまうことである。プロ野球を見ていると、選手年俸総額と順位との間に明らかな相関がある…とは、言えないような気もするのだけれど、一般的には、年俸総額は戦力=順位に比例するはずである。とすると、年俸を自由に決めていいことにしておくと、「払えるチーム」が優勝を争い「払えないチーム」は下位に低迷する。親会社の支払い余力は短期間で変動しないとすると、この構造が固定化され、結果としてリーグ戦がつまらなくなってしまうのである。

●bjリーグのサラリーキャップ、米国のプロスポーツのサラリーキャップ

 このような問題を防ぐための方法の一つが、いわゆるサラリーキャップ制度である。簡単に言うと、一つのチームが選手に対して支払ってよい年俸総額の上限を、リーグとして設定するというものである。それによって期待されるのは、第一に戦力が拮抗し、リーグ戦が面白くなることだが、メリットは他にもある。おそらくbjリーグの場合は、サラリーキャップによって、リーグに加盟するチームが増加することが期待されているのだと思う。もし年俸総額が「青天井」で、いくら払ってもいいということになると、資金力のあるチームが強化を実施する。そうなると、地方の新興チームで、経営母体に資金力がないところは、参加しても下位に低迷することが確実なので参入しない。少ない予算でも参加できるのだという状態を維持するために、サラリーキャップが有効なのである。

 米国のプロスポーツにも同様にサラリーキャップ制度がある。たとえばMLBにもあるが、ただし絶対ではなく、オーバーしたら一種の「課徴金」をリーグに支払う。それによって人件費の上昇を抑制しようとするものである。抑制しようとする第一の理由はおそらくbjリーグと同じで、チーム間の戦力格差が拡大しすぎないようにすることである。

 NBAのサラリーキャップはもっと抜け道が多くて、たとえばマイケル・ジョーダンの年俸は所属しているチームのサラリーキャップ(つまり人件費総額の上限)を一人で上回っていた。面白いのは、せっかくサラリーキャップ制度をつくったのに機能せず、人件費が高騰を続けたので、最後はリーグ側がストライキ(厳密にいえばロックアウトになるのだろう。つまりそんなに高い年俸総額は許容できないので試合の開催を拒否したのだ)をはじめたこともあるという点である。米国のプロスポーツを見ていると、チームやリーグより選手が強いと感じる。チームが会社で選手は社員あるいは雇われている人、という構図ではないのだ。

 どちらが強いほうがいいのか、意見はきっといろいろなのだろうと思うのだけれど、たとえ選手の年俸が世間の常識より高くても、選手やチームが強いというのは、悪いことではないような気がする。日本のバスケットボールで選手の年俸が高すぎることが話題になる日が来てもいいんじゃないか。それも発展の証しのひとつではないかと思うのである。

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