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地域経済の発展に向けて

第27回:人手不足の到来
武藤泰明

 2012年12月、米国のFRB(日本の日銀にあたる)は、中央銀行としては異例の方針を提示した。それは、インフレでなければという前提つきだが、失業率が6.5%より高い場合、金融緩和政策を続けるというものである。先進国の中央銀行にとって、第一の政策目標は長らく物価の安定であった。換言すればインフレ抑止である。この目標が、失業の克服に変わったのだということだ。

○低失業率の謎を解く

 国によらず、失業(一時的なものを除く)は人間的な生活を困難にし、社会不安に直結する。またとくに西欧では若年層の失業が深刻だが、これは職業能力形成を阻害するのでその国の中長期的な人的資源の質を損なうことになる。このような理由から、失業を防ぐことが重視されるようになってきた。
 現在の日本は、欧州危機と円高による輸出不振で、経済は低迷していると一般的には認識されている。したがって、失業者も多い、あるいは増えているに違いないと思う人が多いのだろう。しかし実態はむしろ逆で、ここのところ、失業率は低下しており失業者数も減っている。経済が成長せず輸出不振なのに、雇用は堅調なのである。
 堅調なだけではない。たとえば、中年層女性の労働力率は、趨勢的に上昇している。男女雇用機会均等法のおかげなのか。そうかもしれないが、労働需給の観点から重要なのは、労働力率が上がる、つまり中年層女性が大量に労働市場に供給されている「にもかかわらず」失業率が下がっているという点なのである。もしこの労働力率上昇、換言すれば労働力人口の増加がなければ、失業率はさらに低くなっていたはずである。
 起きていることをさらに検討してみよう。国勢調査によれば、1995年から2010年までの15年間で、就労者数が最も伸びた産業は、医療福祉である。就労者に占める構成比は、5.6%から10.6%へと、ほぼ倍になった。実数で言うと、300万人余の増加である。この5%ポイントの伸びがない、つまり医療福祉の就労者数が15年前と同じだったとすると、失業率は今より5%高く、10%近くになっていたのではないかと思われる。
 最後に、介護保険統計を見る。2012年7月に介護保険事業で使われたお金は、全国で約6800億円であった。単純に12倍すると、年間では8兆円程度である。この8兆円は、日本のGDP(500兆円弱)を、1回だけ、1.6%上昇させる。影響は軽微であると思われるかもしれないが、日本の2000年以降の累積経済成長率はこれより低い。つまり1.6%というのは、この国が10年かけて実現できなかった数字である。また8兆円がすべて付加価値だとすると、これで年収400万円の人を200万人「毎年」雇用することができる。これは失業率を3%以上改善する。
以上から見えてくることを整理してみたい。失業率が低いのは
@ 若年層の人口が少ないので、失業率の「分母」である労働力人口が増えない
A 高齢化で医療福祉就労者が増加している
B とくに介護保険の雇用拡大効果が大きい
ということで説明できそうである。またこの結果として、中年層女性が労働市場に出てきた。この人たちが医療福祉の仕事についているかどうかはわからない。おそらく話はそれほど単純ではないのだろう。とはいえ、何らかの形でこれらの女性の就労機会が確保されたのである。

○人手不足がはじまる

 さて、以上の構図から見えてくることは、一般的な理解とは異なり、日本ではもうすぐ人手不足になるのだろうということである。第一次ベビーブームは1947-1949年で、出生数は現在の2.5倍であった。この人々が65歳に達する。つまり引退をはじめる。これにかわって労働市場に入ってくる人口が少ない。そして介護保険の対象となる人々は、ベビーブーム人口が年齢を重ねることで劇的に増え、介護に必要な労働力も増えていく。労働力供給が少なくて需要が多ければ、あたりまえのこととして労働力不足になる。
 この人手不足は全国に共通するものになので、日本の各地域は人材獲得競争を始めることになる。県内出身者を逃がさず、Uターンを含む流入を促進するということである。また人手不足になるとよく言われるのが女性、高齢者、外国人の労働参加で、これらはあらためて重要な課題になる。

○大分は日本の未来の縮図

 大分はどうなっていくのか。県の勤労統計を見ると、勤労者の多い産業は、順に医療・福祉、卸・小売、そして製造業である。この3業種で全体の半数を超える。よく大分の経済構造は日本の縮図であると言われるが、勤労者については高齢化を反映し、医療・福祉が多い。ある意味では、日本の現在ではなく未来の縮図である。自然体で行くなら、医療・福祉の就労者がさらに増加していく。そしてITなどの先進産業は東京や名古屋に集中し、若年労働力は大都市に流出する。製造業の労働需要は現在よりさらに減少していくだろう。
 では、このようなトレンドを押しとどめる政策は必要だろうか。すなわち、大分に製造業や先進産業の集積を企図していくべきか。
 これまでであれば、答えはイエスであった。しかし本稿では、一種の「思考実験」として、あえてノーと言ってみたい。そう言い切る自信はないが、ノーであれば、換言すれば自然体ならどうなるかを考えてみたい、おきたいのである。この理由は、地域には個性があってよいからである。
 日本のすべての都道府県が、それぞれ一様に「日本の縮図」になるということは、あり得ない。わかりやすい例をあげるなら、東京に北海道の雄大な自然(観光資源)や農業生産を求めることには意味がない。都道府県には、おのずと役割分担がある。
 それで構わないと考える理由は、EUとは違い、日本が一つの国だからである。ギリシャは単独で国際収支を均衡させなければならないが、日本でこれを考えるのは日本であって大分県ではない。輸出と海外所得は東阪名に任せ、大分は内需中心で経済を構成するということでよいはずだ。それで失業率が低いままなら問題は少ない。欧州においてEU域内の労働移動が自由であるにもかかわらずスペインやフランスの失業率が高いのは、国も言語も違うために、経済成長国への労働移動が意外に進まないのと、総人口に比べて成長国(=雇用吸収国)が少ないからであろう。これに対して日本は、東阪名の経済圏の人口は日本の過半である。換言すれば、成長地域(現状は潜在的成長地域と呼ぶべきかもしれないが)が十分に大きいので、成熟した地域の労働力を吸収できる。結果として、大分は産業が発展するかどうかにかかわらず、雇用問題に直面しないのである。
 高度成長期には、不況期の雇用吸収の役割を担っていたのは地方の農業と流通業であった。今はこれとは違い、日本が慢性的な人手不足となることにより、大都市が地方の雇用吸収の役割を担うことになる。換言すれば、地方の職業安定政策は中長期的に失敗のない状態を実現することになる。「負けのないゲーム」と言ってもよいだろう。逆説的になるが、だから政策は足元の景況にまどわされず、中長期的な観点から産業振興を構想できるのである。

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