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地域経済の発展に向けて

第26回:姫島散歩
武藤泰明

 招いて下さる方がありお盆の姫島を訪れた。島の名前はずいぶん前から知っていたように思うし、国東半島に近いこともわかっていたつもりだったのだが、伊美のフェリー乗り場に行ってみると、島はもう目と鼻の先である。フェリーの便数も多くて(1日12往復)、生活圏としては、九州本土側と一体なのだろう。似たような位置付けの島を知らないが、たとえば長崎の五島列島、あるいは瀬戸内海には、このような島があるのだろうと思う。

○九州の島、瀬戸内の島

 その瀬戸内海だが、姫島は、瀬戸内海国立公園の一部である。つまり、瀬戸内海に面した島なのだ。そして島の反対側は、遠く太平洋を見渡す。灯台のある島の高台に立って、右回りにぐるっと体を回すと、まずは山口県が見え、つぎは四国の佐多岬半島の先端である。そして太平洋、最後に九州本土となる。地元の人には毎日のことかもしれないが、北海道を除く日本の3島が見える場所というのは、他にないのではないか。
 考えてみれば当然なのだが、瀬戸内海は名前のとおり内海(うちうみ)なので、これを囲む陸がある。西の端で瀬戸内海を囲んでいるのは九州なのだということである。私は小学校のころまで、壇ノ浦は小豆島あたりにあると思っていた。まさか平氏が御所から安徳天皇を連れて下関近くまで移動したとは思わない。陸路を考えればそうである。海を囲む陸地が海路により生活圏や経済圏を形成している。瀬戸内海も地中海も同じである。

○西村英一氏のこと

 さて、姫島は瀬戸内なので、気候も瀬戸内である。近海漁業とならぶ産業は製塩であった。かつては塩田があった。アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫1960.上下巻)によれば、19世紀半ばには、姫島ですでに製塩がおこなわれていた。住民の半数は製塩に携わっていたとあるので、主要産業である。冷蔵輸送技術が発達するまでは、獲った魚は遠くまで運ぶことができない。だから、島第一の産業は漁業より製塩であったと考えるほうが自然であろう。
 そして姫島が塩田をやめたのが1959年である。製塩からの産業転換を奨励する塩業整備臨時措置法の適用第1号とのことである。私は1955年の生まれなので、小学校の社会科で瀬戸内の塩田を習ったのは1962年以降である。姫島がすごいと思うのは、後々まで教科書に載っているような産業に早々と見切りをつけたところなのだが、この産業転換を指導したのは、姫島出身で後に自民党副総裁となる西村英一氏であった。先見の明というべきであろう。島には田中角栄元首相揮毫の西村氏の顕彰碑が建つ。

○産業構造転換、3セクのクルマエビ養殖

 塩のかわりに姫島が選んだのは、クルマエビの養殖である。塩田の跡地をそのまま養殖池とした。
 よく知られるとおり、物価の「優等生」はバナナ、鶏卵、そしてエビである。つまり、ずっと小売価格が上がらない。とくにエビについては、村井吉敬「エビと日本人」(岩波新書1988)によれば、海外養殖ものが日本に冷凍で輸入されるようになって価格が低下したのだが、運のよいことに、クルマエビは高級品なので、輸入エビと競合しない。高付加価値のニッチである。そのおかげで、養殖事業は半世紀続いてきた。
 藤本村長に伺ったところでは、事業の採算は、そうよくないらしい。とはいえ、島内の雇用確保という観点からは重要な産業である。また養殖なので、時にウィルスの害がある。そうなれば「全滅」する。リスクがかなり高い。養殖事業は第三セクター方式で行われているが、純民間の株式会社では、このリスクを負いきれないだろう。事業方式としては合理的である。村をあげて産業と雇用機会をつくっているということである。

○盆踊りと「野趣」

 さて、盆踊りである。本年三月、国の「無形民俗文化財」に選ばれた。この盆踊りには、2つの特徴がある。第一は、いくつものグループが作られ(例えば○○地区の中学生というような)、それぞれのグループは踊りも装束も異なるという点である(「唄」は、皆一緒である)。第二の特徴は、島内に盆踊り会場が何か所もあり(盆の辻と呼ばれる)、これらのグループは、順に各会場を巡る。つまり、同じパフォーマンスをそれぞれの会場で行う。最後はフェリー港の近くの広場に設けられた「メイン会場」に着く。ここには島外からの観光客もやってきて見物の人数が多い。会場のアナウンスを聞いていると、どうやら一番の人気はキツネ踊りで、これは島のパンフレットの表紙にもなっている。
 招いて下さった方は、これを「野趣の残る」と表現された。私は野趣の二文字を見て、勝手に「野生的」と考えた。換言すれば、猛獣のイメージである。ところが、実際の盆踊りには、野性的なところは一つもない。キツネ踊りにしても、小学校低学年くらいの子供がキツネの化粧をしているものの、その顔だち顔つきは素朴温和なふだんのままである。キツネ踊りに限らず、対抗して創作されたタヌキ踊りにしても、大人の踊りも、あらぶるところはまったくない。
 あ、そうか。これが野趣なのだと気づくまでに、それほど時間はかからなかった。北海道で言えば、延々とまっすぐな道路を走っていると、ときおりシカを見る。私は見たことはないが、小さな獲物を咥えたキタキツネでもよい。そんなものが野趣である。盆踊りで言えば、昔ながらの商業化されていないところが野趣なのだ。動物園にエゾシカやキタキツネがいても野趣を感じない。
 そしてそうであるということは、なかなか観光客をよびにくいということでもあるのだろう。メイン会場には、島外から観光目的で来たと思われる人も多いが、多いと言っても知れている。そして、姫島の最大の観光資源がこの盆踊りなので、実質2日間の盆踊りが終われば、観光客は少なくなる。だから宿泊施設は増えない。盆踊りの見物客は深夜の臨時便のフェリーで伊美に戻っていく。

○野趣常在

 姫島は観光客を増やしたいと考えているようだが、だからといって盆踊りを阿波踊りのような大きなイベントにする気はなさそうである。年2日のために投資するというのは確かに合理的ではない。重要なのは盆踊り以外の363日である。つまり折々に観光客を呼べる資源の開発をするということだ。
 では現在どのようなものがあるかというと、姫島七不思議であったり、露天の黒曜石が天然記念物であったり、あるいは5月の花火大会と「かれい祭り」、10月の車えび祭りなど、できそうなことはすでに行われている。そしてどれも地味である。野趣だから地味なのだろう。世の中には、この野趣を好ましく思う人も少なからずいるはずで、したがって姫島の観光振興は、何か派手な、あるいは大がかりなイベントではなく、野趣常在とでもいうべき島の日常によって実現されることになるように思えるのである。

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