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地域経済の発展に向けて

第16回:ティーチ・フォー・アメリカ
武藤泰明

○米国の就職人気ランキング1位はNPO

 今回はクイズから始めたい。

【問題】2010年に、ビジネスウィーク誌による米国の文科系大学生の就職人気ランキングで1位になったのはどこか?

 答えはグーグルでもアップルでもなく、ティーチ・フォー・アメリカ(Teach for America。以下ではTFAと略記)という非営利組織(NPO)である。日本では考えられないようなことが米国では起きている。
 TFAとは何をしている組織なのかというと、米国内の教育困難地域に、大学卒業生を教師として1991年から派遣している。派遣先は公立校である。「教育困難地域」とは、典型的には低所得地域で、子どもは学校に来ない。親は英語が話せない人が多い。ニューヨークで言えばハーレムをイメージしてみればよいだろう。学校は荒れていて、教師のなり手もなく、来てもすぐ離職する。そんな地域である。日本の教育実習とは決定的に違う。
 派遣期間は2年間である。2011年の派遣予定者数は8200人なので、1学年あたり約4000人がTFAに参加していることになる。派遣される教員はフルタイムの給与を得、医療保険にも加入する。アルバイトやボランティアではない。日本ふうに言えば普通に就職して社会人になるということである。参加者は、教員資格を持っていなくてもよい。将来教員になろうという学生を訓練することが目的ではないからである。そして、過酷な仕事に取り組む。
 応募してくる学生は名門大学卒業者が多い。つまり「就職難民の避難所」ではないということだ。もしそうだったら人気ランキング1位にはならないだろう。大企業はTFAに資金的な支援を行う他、グーグル、GE、デロイト、JPモルガンなどは自社の採用内定学生がTFAで2年間働くことを認めている。

○TFA出身者は企業の幹部候補として就職

 念のために言えば、TFAは「就職難民の避難所」でないだけでなく、「大企業の内定をもらった学生がその企業の意向ないし許可によって2年間訓練を受ける場所」なのでもない。それはむしろ少数派である。TFAで2年間教育活動をしたのち、大学院に進学する学生も少なくないが、多くの学生はTFAで活動していたことを評価されて就職する。何を高く評価されるのかというとリーダーシップである。換言すれば、米国の企業はTFA出身者を幹部候補として採用する。

○日本との就職慣行の違い

 日本と米国の大卒者の就職慣行の違いについて説明しておいたほうがよいだろう。日本では周知のとおり、大学生の「就活」の時期は早くなっていて、3年生の後期が始まるころには企業説明会が平気でウィークデイに開催される。大学教員の愚痴になるが教育などあったものではない。どうもこれは行き過ぎで、少し遅らせようかという動きが産業界から出てき始めているのはありがたいことだが、実態としてはさらに早く説明会を開催する企業も増えている。
 これに対して米国の大学生は卒業間近、あるいは卒業してから就活を始める。そもそも新卒者を定期採用して、日本で言えば4月1日(米国の学校は秋に始まるので約半年違う)に一斉に入社するということがない。米国の大学院のMBAコースのランキングをみると、評価指標の中に、「卒業後3か月以内に就職先が決まる学生の割合」といったものがある。要するに新卒であることをあまり気にしない。また、最近では日本もそうなってきはじめているが、米国の高等教育卒業者の流動性は極めて高い。したがって採用者の中で新卒者の割合はあまり高くない。だから採用する前に何年か他の組織で働いていたというのは普通のことなのである。そして「前職」がTFAであることは高く評価される。

○英国のギャップ・イヤー

 英国にはギャップ・イヤーという慣行がある。これは高校や大学を卒業してすぐに進学・就職するのではなく、1年間、海外でボランティア活動をしたり、国内で医―療・福祉の現場などを経験するものである。
 TFAとギャップ・イヤーに共通しているのは、若い人が社会経験を積むことに価値があると考えられているという点である。これに対して、日本では浪人も就職浪人も、本人にとってだけでなく、社会的にも損失であると考える。大学にせよ就職にせよ、最短で「通過」することが重要なので、TFAやギャップ・イヤーとは、指向が180度違うということができるだろう。

○県内出身者を2年間受け入れる

 TFAに触発されて、日本でも同様の活動をしようという非営利組織が出てきているようである。また国際協力機構(JICA)は日本版のギャップ・イヤーについて提言をまとめようとしている(この原稿が活字になる時期には公表されているかもしれない)が、以下では、TFAやギャップ・イヤーを参考にして、大分で何ができるかを考えてみたい。
 大分に「教育困難地域」があるかというと、おそらくないのだろう。したがって、学生の派遣先は学校以外になる。一案として、県内大学・専門学校卒業者について、地元の医療福祉機関、あるいは農林業などで2年間働くことを前提に、県内企業や行政などがそのような学生を優先的に採用することが考えられる。あるいは、県内の高校を卒業して県外の大学や専門学校に進学した学生を対象に加えることを検討してもよいだろう。これは、一種のUターンである。高卒者については、1年間同様の経験をすることを前提として、県内大学に推薦枠を用意してもらうことが考えられる。
 新卒者の採用環境は高卒、大卒ともに依然厳しいが、産業、職種によっては人手不足である。上記のような制度を導入することによって、このようなミスマッチを改善することが期待される。
 もちろん、最も重要なのは、1年ないし2年間で若者が成長することである。厳しい現場を1年間経験してきた高卒者は、高校の延長で大学に入ってくる学生と比べるとしっかりしているはずである。大卒についても、3年生の後期から講義や演習は「ほったらかし」で就活に「邁進」していた学生より、TFA型の社会経験を積んだ学生のほうが確実に意識が高い。その意味では、このような制度は、県にとって人材育成の意義が大きいのだと言えるだろう。
 克服すべき問題は、学生やその保護者、そして企業が、新卒定期採用や終身雇用という常識を持っているという点であろう。しかし現実は最早終身雇用ではないし、青田買いで採用した大卒者は3年で3割が離職する。つまり、現在の採用慣行は、あまりうまく機能しなくなっている。この現実を認識して、必要とする人材観を見直してみてはどうか。TFAとギャップ・イヤーは、そのような問題を提起しているように思われる。

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