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地域経済の発展に向けて

第10回:県民の貯蓄をどう活かすか
武藤泰明

 経済規模(GDP)を要素に分解すると

  • 個人消費
  • 住宅建設(新築、改築)
  • 企業の設備投資
  • 政府の経常的な支出
  • 公的固定資本形成(典型は公共事業)
  • 純輸出(=輸出−輸入)
になる。最後の純輸出が貿易黒字である。

 日本は1970年代初頭に貿易黒字になり、これにつれて1ドルが360円から100円になった。それでも貿易黒字が続いていて、これが経済を支えている。とはいえ、高齢化が進んで労働人口が減少すれば、いずれ貿易赤字になる。経済を支えるのは、外需(貿易)ではなくて内需になる。上の分類で言えば、純輸出以外の5項目が内需である。

 では、内需の中で何が伸びるのか。まず、政府の支出(経常的な支出および公的固定資本形成)には、おそらくあまり期待できない。国も地方も財政状況が良くない。公的債務は1000兆円程度である。財政再建を考えるなら、政府の支出(歳出)を増やすのは難しい。

 設備投資も、製造業がいわゆる空洞化(生産機能の海外移転)を進めるのだとすると、あまり伸びは期待できないだろう。

 住宅については、人口減少によって確実に新築戸数が減っていく。したがってこれにもあまり期待できない。結局残るのは個人消費である。

内需拡大の失敗

 前回指摘したように、消費の変動は小さい。急には伸びないのだが、塵も積もれば山となる。残念ながら、1990年のバブル崩壊以降の日本では、塵が積もらなかった。80年代の貿易黒字解消のために、前川レポートは内需主導型の経済拡大を指向したのだが、増えたのは政府支出で、国の債務が拡大して今日に至っている。内需拡大施策は、簡単に言えば失敗したということである。

勤労者の貯蓄増加と生活不安

 国民に消費に回すだけのお金がなかったのかというと、実はそうでもない。マクロ統計では、日本人の貯蓄率は低下しているが、この理由は高齢化である。貯蓄を取り崩して生活する世代が増えれば、必然的に貯蓄率は低下する。勤労者世帯だけをみるなら、世帯あたりの貯蓄額は増加している。つまり、消費せずに貯蓄したということなのである。

 国民が貯蓄を増やす理由は2つある。第一は所得の増加であるが、この20年間には、これはあてはまらない。そして第二の理由は「生活不安」である。将来が不確実だと、お金を使わずに貯めようとする。

 現在の日本の問題は、人々が生活不安を感じている期間がきわめて長いという点である。不安感が解消され、勤労者の貯蓄率が低下に向かう契機があるのかというと、「これだ」というものがない。これに対して不安のほうは、年金財政が悪化して将来の給付水準が下がるのではないか、給付開始年齢が現行の65歳から更に引き上げられるのはないか、あるいは高齢者の医療費負担が引き上げられるのではないかといった老後の不安が主なものである。仕事を失う不安もあるだろう。

 これらはよく「漠然とした不安」と言われる。たしかにそうなるかどうかはわからない。しかし、これらの不安が、この20年ですでに一度、現実になっているのも事実である。公的年金の支給開始年齢は引き上げられたし、1990年代後半からの不況でサラリーマンの賃金は下がり、人によっては職を失った。その意味では「漠然とした」というには現実的すぎる不安なのである。だから長期にわたって消費が活性化しない。

 こうして消費せずに蓄積された貯蓄が何に使われているのかというと、最大の投資先は国債である。つまり、消費が伸びないので経済が成長せず、税収も伸びない。だから政府は国債を発行し、赤字を埋めるとともに経済を支えている。換言すれば、国民はモノやサービスを買う代わりに、貯蓄を経由して国債を買っているのだということになる。そして国債を発行して得たお金を国が使う。国民のかわりに国がお金を使って経済を支えているのである。

 ついでに言うなら、国が唱えてきた「貯蓄から投資へ」つまり、預貯金ではなく有価証券(典型的には株式)投資へというスローガンに、国民は乗らなかった。考えてみればこれは当然で、生活不安があるのに元本保証のない有価証券に投資して不安を増幅するのは合理的ではない。

消費が伸びないという前提で経済を構想する

 この連載でも何度か指摘しているように、これからの世界経済のキーワードは「振幅」であり、日本もその影響を受ける。換言すれば安定しない。国民が生活に不安を覚えるのは、ごく自然なことだと言ってよい。したがって、勤労者は消費ではなく、有価証券投資でもなく、貯蓄を選好し続けるはずである。

 「べき論」としては、安心して生活できる社会を構築すればよい。国や地方自治体は、それを目指す。とはいえ一方の現実は振幅と不安なので、消費が伸びるのは、かなり難しいのである。そしてそうだとすると、現実問題としては、消費が伸びないという前提でこれからの経済運営を構想しなければならないだろう。

地方版財投について

 そのためには、国民の貯蓄を国内で公的部門が使うという資金の循環が必要なのだが、その手段が公債だとすると、財政赤字が拡大するだけである。これを避けようと考えるなら、残るのは財政投融資(財投)あるいはこれに似た資金の循環ということになるのだろう。

 少し説明すると、財投は歳出ではないので、投下した資金は返済される。またしたがって、財投資金を得た事業には一定の収益性がなければならない。つまり採算を問われるのだが、採算がとれるなら民間でやればよいというのが最近の考え方だった。

 ところで、事業には「採算がとれるもの(=民間)」と「収入のないもの(=歳出)」の他に、「収入はあるが採算がとれないもの」「収入は期待できるが初期投資が大きく民間に向かないもの」がある。いわば官と民の中間領域なのだが、これに対する資金投下の手段として適しているのが財投である。たとえば当面不採算の事業でも、初期投資を財投で賄い、損失を歳出でまかなうのであれば、一般歳出の負担は小さくてすむ。あるいは政策的な価格設定のために恒常的に損失が出続ける事業についても歳出と財投の組み合わせで対応できる。

 国民生活の観点から、財投に適した事業を発見する、あるいは生み出していくことが、公的部門に求められている。そして、どのような事業が必要で、どの程度の採算になるのかを判断する役割を果たすのは、中央よりむしろ、事業執行の現場に近い地方のほうが適しているものと思われる。各県がそれぞれ財投会計を持ってもよいだろう。もちろん、投融資の対象となる事業の必要性や効率性については、厳格な監視が不可欠であるが、その方法については、たとえば独立行政法人に対する評価手法や経験が活用できるものと思われる。

 このような枠組は、言うなれば地産地消と同じである。自県で集まった預貯金を、県内の投融資に充てるからである。県内の資金循環が、県の経済を支えることになる。

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