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地域経済の発展に向けて

第5回:地域経済と複雑系
武藤泰明

集積が集積を生む

ポール・クルグマン。アメリカの経済学者です。昨年ノーベル賞を受賞したので、ご存知の方も多いと思います。近年は学者としてより、ブッシュ政権批判で有名でした。現在は政権が民主党に変わり、世界同時不況もあって、経済政策について積極的な発言を展開しています。

そのクルグマンの著作の一つに「複雑系の経済学」というものがあります。複雑系というのは経済学の一領域ではなく、数学、気象、生物学、政治学、そして組織論にいたるまで、さまざまな学問分野に取り入れられ発展している概念なのですが、クルグマンはこれを経済学に応用し、この著作の中で、都市や地域の「集積」を説明しています。

そこで示されるのは、一旦ある地域で集積が始まると、集積が集積を生み、さらに集積がすすむことです。そしてこわいのは、ある地域に集積が続くと、周辺の地域の集積度が低下するという点です(図参照)。

図 集積が集積を生む

このような「集積が集積を生む」という現象は、現実に照らしても正しいように思います。この連載で取り上げた例で言えばシリコンバレー。日本では「産地」「地場産業」「工業地帯」。たとえば燕の食器がそうです。自動車も、かつては静岡県から三重県の鈴鹿市にかけて集積した「地場産業」でした。麻生首相の好きなアニメ産業は、東京のJR中央線沿線にスタジオが集積しています。

なぜそうなったか、集積したのかというのは、複雑系以外の論理で説明できるのかもしれません。「しれません」というより、産業史はその理由を真剣に検討してきたといってよいでしょう。これに対して、複雑系の関心は「なぜ集積したのか」にはありません。重要なのは集積するという点、そして、集積地の周辺には集積しないという点なのです。

大分県の近くで言えば、宮崎県は現在スポーツ・キャンプの集積地です。問題はここから先で、宮崎県に集積しているなら「宮崎県+大分県」でさらなる集積を実現できるのか、あるいは「宮崎県+鹿児島県」になるのか、それとも宮崎に集積したので大分、鹿児島には集積しないと考えるべきなのか。このあたりは「地域」の範囲がどうなるのかという問題で、容易に結論が出ませんが、今のところ「宮崎+大分」という地域は集積の単位になっていないようです。

集積の3つのパターン

集積が集積を生むのだとすると、重要なのは、小さくてもよいので、まずは集積が「ある」ことです。では、どうすれば集積の「ある」状態を実現できるのか。手段は3つあります。すなわち「意図的な集積」「必然的な集積」、そして「自然発生的な集積」です。

たとえば、工業団地をつくるというのは、意図的な集積です。温泉が出るところに温泉街ができるというのは、必然的な集積といえるでしょう。

温泉街ができるためには、温泉という「資源」が必要です。つまり「必然的な集積」は、どこででもできることではありません。また、工業団地を形成するためには、政策的な投資が必要です。したがって、これも難易度の高いテーマです。経済政策とは「意図する」「構想する」ものだとすると、製造業の集積を意図して工業団地をつくったり、温泉の出るところに温泉街やスパ・リゾートを形成していくことを構想することは政策になるでしょう。もちろん、政策があればうまく行くとは限りません。大分県は温泉街の成長、工場誘致という政策的な集積形成がかなりうまく行った例だと言えるものと思います。

自然発生的な集積も多い

このような「意図」「構想」とは異なる論理で形成されているのが「自然発生的な集積」です。この例は、少なくありません。そして、重要なものを含んでいます。たとえば、自動車産業の集積は、政策的ではなく自然発生的なものでした。

あるいは、大分県にはトップレベルのスポーツのチームが4つあります。Jリーグ、BJリーグ、バレーボール、そしてフットサル。この4つの競技は、何か予め相談したり連携をとって大分を本拠地としたわけではありません。集積を意図したわけではないのです。契機はともあれ、結果として集積しています。そして、似たような「スポーツ集積」を実現している地域は、ほかにも結構見られるように思います。

集積を見つける、集積に気づく

では、このような「自然発生的な集積」に対して、われわれはどう対処すればよいのか。重要なのは、集積が自然発生するのをただ待っているのではなく、集積しているところ、しかけているところを見つける、気づくことなのでしょう。見つければ、後押しすることができます。

私は最近、面白い「集積しかけているところ」を見つけました。それは何かというと、スポーツの競技場とショッピングセンターです。プロ野球を例にとるなら、パ・リーグの球場の多くと三井不動産のアウトレットが、隣接ではありませんが相互に至便な場所にあります。

商業集積は集客(そこに来てくれること)と消費者の滞留(そこにとどまり、消費してくれること)を意図するものです。ショッピングセンターと競技場が近くにあれば、市民が家から出かけ、まずショッピングセンターで買い物と食事をして、それから野球を見に行くという行動を期待することができます。野球がデーゲームなら観戦のあとにショッピングセンターに言ってもいいでしょう。いずれにせよショッピングセンターと競技場の両方で「集客」と「滞留」が実現されることになります。私はこれを「広域回遊」と名付けています。

競技場のいいところは、ショッピングセンターと競合しないという点です。ショッピングセンターの近くに似たようなショッピングセンターがあれば、この2つは競合することとなり、冒頭に述べた集積の論理からすると、片方は衰退してしまうかもしれません。これに対して、ショッピングセンターと競技場であれば、一緒に疑似的な集積を実現することができます。

ここから先は、球場とショッピングセンターの相互協力の方法を考えることになりますが、両者が近くにあるという事実に気づかなければ、そんな検討は始まりません。見つけること、気づくことが、まず第一に重要なのです。

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