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地域経済の発展に向けて

第3回:呼びよせる
武藤泰明

シリコンバレーにインドから資金が集まる

シリコンバレーの話を続けることにします。

シリコンバレーが産業集積を実現したのは、インターネットが商用化された1996年よりはるかに前のことです。たとえば、シリコンバレーのいわば草分けとでも言うべきヒューレット・パッカード社がカリフォルニア州パロアルトに設立されたのは1939年でした。

時は流れ、20世紀末に爆発的に普及したインターネットによって、シリコンバレーは地理的な境界・制約を超えて発展を始めます。何が起きたのかというと、シリコンバレーの企業が、遠く離れたインドの企業にソフトウェア開発を発注することができるようになりました。サンタクララ大学が2005年に実施した調査によると、シリコンバレー企業のアウトソーシング先はインドが1位です。英語のできる高学歴の人材が多いことが理由です。 途中の経緯を省略すると、これがもたらしたのは、インドの企業や財閥による、シリコンバレーのベンチャービジネスへの投資や買収でした。つまり、シリコンバレーとの取引によって、インドはシリコンバレーの存在を認識し、理解し、投資するようになりました。取引が投資を呼びよせたということができるでしょう。

外国人が家族を呼びよせる

この「呼びよせ」は、いろいろな分野で見ることができます。たとえば、第二次世界大戦後の経済復興期に、欧州各国は深刻な労働力不足になったのですが、その際、旧植民地を中心とする途上国からの移民労働者が不足を補いました。

問題は、欧州の復興が終わっても、移民が帰国せずに定住したこと、そしてそれだけでなく、家族を呼びよせたことでした。呼びよせられたのは家族だけではありません。自分の出身国の人が多く住んでいる国は生活しやすいので、移民は不法入国者を含めて、雪だるま式に増加することになります。結果として、失業・犯罪など、さまざまな社会問題が生まれました。このため、現在は移民の流入を規制している国が多いのですが、それでも、移民の流入増加は、その国の活力を表しているということができるでしょう。因みに、現在欧州で最も活力のある都市はロンドンですが、最近のロンドンの人口増加は主に外国人によるものです。 また、米国に留学する日本人の多くは卒業後日本に帰国しますが、他の国からの留学生は、卒業しても帰国せずそのまま米国で仕事につき、家族を呼びよせることもよく見られます。呼びよせは、非熟練労働力だけでなく、高学歴の専門職でも見られるということです。

スポーツの多様な「呼びよせ」

スポーツの分野でも、呼びよせが多く見られます。まず米国のプロ野球。1960年代に村上という投手が大リーグで投げていたことがありますが、近年の開拓者は何と言っても野茂(1995からドジャース)、そしてイチロー(2001からマリナーズ)でしょう。2008年には、この二人を含め、大リーグに属した日本人選手は18人になっています。野茂やイチローが彼らを呼びよせたと言ってよいと思います。そして、彼らが呼びよせたのは選手だけではありません。日本から支払われる放送権料も、米国に呼びよせられています。

あるいは北海道の上川に士別市というところがあります。最後の屯田兵村で、ボクシングの輪島功一選手がここの出身ですが、最近はスポーツの合宿で有名で、利用者は殆ど道外。国際大会の前に欧州の代表がキャンプをしたりしています。この例の場合は、選手やトレーナーが士別を高く評価し、リピーターになるとともに、口コミで呼びよせが行われています。

同じ北海道のニセコ町のスキー場はオーストラリア人の間で人気が出、外国人客が増えました。オーストラリアと時差がなく、夏冬が逆なので、一年中スキーをしたいオーストラリア人には言うことのない立地です。

またこれに伴い、オーストラリア、さらにはそれ以外の国の企業がニセコに投資を行っています。在日オーストラリア大使館のプレスリリース(2007.5.11)によれば、「ニセコスキーリゾートへのオーストラリアの投資家による投資は200億円を超えると見られている。2006-07年のスキーシーズンにこの地を訪れたオーストラリア観光客はおよそ2万人である」ということです。現在は円高のため来日観光客・投資意欲ともに低迷していると思いますが、ニセコとオーストラリアは間違いなく繋がりができているので、経済環境が回復すれば、人と資金の「呼びよせ」が、ふたたび始まることになるでしょう。

大分の「呼びよせ」

ところで、大分県の人口は1995年以降減少していますが、2007年(10月1日現在)には、1979年以来28年ぶりに社会増になりました。つまり転入が転出より多かったということです。

大分県は企業誘致については全国でもとくに成功しているところの一つです。企業誘致は成功すると、地元の労働力だけでは不足します。不足する労働力は、県内の他の地域、県外、そして職種によって制約はありますが国外から供給されることになります。要は仕事を生み出せる土地に人が集まり、人が人を呼びよせるようになるのです。

最近の統計を見ると、県内人口は2008年にはふたたび社会減に転じた模様ですが、おそらく世界同時不況の影響なのでしょう。しかし、長い目でみるなら、産業立地が、転入に貢献するものと思われます。

また大分県の場合は、立命館アジア太平洋大学(APU)という、国内では他にあまり類を見ない高等教育機関が設置されたことによって、外国人の転入が増えました。とはいえ、法の制約もあって、彼ら留学生の多くは卒業後帰国し、日本で仕事につく人は限られています。大分県内にとどまる人は、さらに少なくなります。2007年度のAPUの外国人卒業生450人余のうち、日本で就職する人は約160人、そのうち県内が10人弱といったところのようです。

450人中160人というのは、成功と言えるでしょう。問題は10人をどう評価するかなのですが、絶対数としては確かに少ないので、増えてほしいと思います。しかし重要なのは、卒業生が何人県内にとどまってくれるかどうかということだけではなく、彼らが大分に居ること、居たことによって、海外から人、資金、そしてビジネスが呼びよせられて来ることです。換言すれば、10人だけでなく、450人の力を借りる方法を考えていくべきだということになるのだと思います。そして450人は1年分なので、24〜25年、つまり四半世紀で累計1万人を超えることになります。これは、きわめて大きな力だと言えるでしょう。

呼びよせには、時間がかかる

最後に指摘しておきたいのは、呼びよせが効果を生むようになるには時間がかかるという点です。シリコンバレーとインドの関係はインターネットで一気に進んだのですが、この背景として、シリコンバレーのIT企業には、インドから米国の大学に留学した学生が卒業・就職していたことがあります。つまり、インドとの取引がインドからの投資を呼びよせる前提として、インド人の社員が、インドとの取引を呼びよせていたのです。私たちも、じっくりと時間をかけて前進することにしましょう。

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