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地域経済の発展に向けて

第2回:シリコンバレーと情報媒介者
武藤泰明

 前回書いたように、20世紀後半から、イノベーションの新しい形が生まれ始めました。それが「個人イノベーション」です。資金や大きな組織がなくても、社会を変えるような変革が実現されています。典型は、ITやバイオテクノロジーの分野で多く見ることができます。では、イノベーションのもとになる個人のアイデアは、どのように事業化されるのでしょうか。

イノベーションは1人でもできるが、事業化は1人ではできない

 20世紀型イノベーションの中心であった「巨大科学技術」のほうは、事業化の道すじがわかりやすいといえるでしょう。国や巨大企業が開発テーマを定め、資金と人材を手当てします。開発されたものをどのように使っていくか?民間企業なら製品化計画?も、具体性の程度はいろいろなのでしょうが、予め決まっていることが多いと思います。もちろん、計画どおりに行くかどうかはわかりません。しかし、開発がうまく行けば、今度は商品化、事業化計画が立てられ、開発段階と同じように、資金と人材が手当てされることになります。

 これに対して、個人イノベーションのほうはというと、イノベーションは一人でも起こせるのですが、それを事業化していくとなると、これも一人で、というわけにはいきません。製品を作るなら工場が必要で、さらにそれを売るとなると、販路をどうするのかという問題に直面することになります。

シリコンバレーのベンチャービジネス支援産業は何か

 IT分野のイノベーションで、典型的な成功例といえるのがシリコンバレーです。そこでは、この「事業化」は、どのように実現されたのでしょうか。

 成功の理由として一般的に指摘されるのは、

  1. スタンフォード大学の存在
  2. ベンチャー企業の集積(情報交換が進むことによってイノベーションがさらに増えていく)
  3. ベンチャー・キャピタル、とくに起業段階で資金を提供する、いわゆるアーリー・ステージのベンチャー・キャピタルの存在

といったところでしょう。しかし、この中で 12 はイノベーションが生まれることの原因ではあるものの、それが事業化されることとはあまり関係がありません。これに対して 3 のベンチャー・キャピタルは、資金を提供することによって事業化を促進します。

しかし、資金があるだけでは、事業化の要件として不十分です。では何が重要だったのか。当時のシリコンバレーの業種別事業所数の変化を見ていてわかることは、この地域で、IT産業だけでなく、他の類型の事業所も増えていたという点です。たとえば、シリコンバレーというと「ものづくり」とはあまり関係がないという印象がありますが、IT産業の成長と並行して、工場の数も増えているのです。おそらく、ベンチャービジネスが工場を必要としたのでしょう。たとえば、自分のアイデアで設計した製品の試作品を作ってもらいます。これをユーザー候補の企業に評価してもらい、使えるということであれば、試作品を作ってくれた工場で量産します。量産と言っても、ITの分野では製品寿命がきわめて短いので、大した量産ではないでしょう。このような、試作品〜比較的少量の生産に短期間で対応できるような工場?言うまでもなく、このような生産スタイルは、一般的には工場からは嫌われるものです?が、シリコンバレーとその周辺地域に増えていったのです。

 このように、シリコンバレーでは、ベンチャービジネスが集積しただけでなく、これを支援する産業の集積も進みました。これがシリコンバレーにおいて、イノベーションが事業化されるために重要だったものと思われます。

 そして、この「支援産業」として、ベンチャー・キャピタル、工場とあわせて重要なのが、意外に思われるかもしれませんが「卸売業」でした。時期によっては、IT関連の事業所より、卸売業のほうが増え方が早いこともありました。卸売業というと、IT産業、あるいはベンチャービジネスとは対極にあるものというイメージがあるといえるでしょう。しかし実際にはそうではないということなのです。

情報媒介者としての卸売業

 では、卸売業はシリコンバレーにおいてどのような役割を果たしたのか。これを一言でいえば「情報媒介者」ということになるのだろうと思います。

 教科書的に言えば、卸売業の役割は、複数の供給者の製品を、複数のユーザーに届けることです。したがって、シリコンバレーの卸売事業者は、複数のベンチャービジネスと取引し、これらのベンチャービジネスが生み出す製品を使用する、複数のユーザーとも取引します。つまり、卸はベンチャーとユーザーをつなぐのですが、シリコンバレーでは、卸売事業者は、ベンチャービジネスとユーザーをつなぐだけではありません。たとえば、ベンチャービジネスA社が作っている製品にはB社の制御ソフトがつかえるのではないかというように、ベンチャービジネス同士をつなぐことも多いでしょう。また、工場についての解説でも示したように、シリコンバレーの取引の特徴は短期間だという点です。したがって、供給者とユーザーの組み合わせは、頻繁に変わります。供給者が別の製品のユーザーになるということもあるでしょう。このような取引特性においては、卸売業の役割は大きいのです。正反対の例として、自動車メーカーとディーラーとは長期固定的な関係なので卸売業が介在する余地がありません。これと比べてみれば、ベンチャービジネスにとっての、卸売事業者の重要性を了解していただけるものと思います。結果として、卸売事業者は、ベンチャービジネスとそのユーザーの情報ネットワークの「中間」ではなく「中心」にいることになります。そしてこれが、イノベーションの事業化を取引面から促進したのだと考えることができるのでしょう。

先端産業も「産地」を形成する

 インターネットの普及とともに、シリコンバレーは物理的な意味での「地域」を超え、世界的な情報と取引のネットワークを形成していきます。しかしそれでもその核となるのはやはり地域です。また面白いのは、ハーバード大学経営学大学院のマイケル・ポーターが、90年代に入って、産業のクラスター(集積、まとまり)に注目し始めたという点です。日本人から見ると、中小企業の集まる「産地」は、珍しいものではありません。また産地というと伝統工芸のイメージがありますが、たとえば自動車産業の多くが静岡県から三重県の鈴鹿市にかけて分布しているのは、初期の産業集積を反映しているはずです。シリコンバレーがそうであるように、先端産業・近代産業も「産地」を形成するのです。そういえば、アニメ産業は東京のJR中央線沿線に集積しています。そして集積は高密度な情報を生み、その情報を媒介する事業者の役割を高めます。

 産業の集積と発展には問屋(卸売業)が必要である--時代のトレンドに逆行する、意外な結論かもしれませんが、そんな目で、これからの卸の役割を見直していくことが必要なのだと思います。

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