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日本サッカーの現在とスポーツの未来

第3回:for the football から for all sports へ
2006年8月
武藤泰明

 日本のサッカーは現在、世界のトップクラスを目指すために、代表という頂点を言わば「原点」とし、そこから底辺に向けて、強化・育成・指導の体制を作ってきました。また選手の育成だけでなく、指導者の育成を併せて重視してきたことも大きな特徴だといえるでしょう。

 指導者に期待されているのは、才能ある選手の育成と発掘です。たとえばJリーグの日本人選手の生まれ月を調べてみると、4、5月生まれが多く、逆に早生まれが少ないということがわかっています。このことが示しているのは、発掘は熱心に行われているものの、その方法は完全ではないということです。小学校低学年の1歳の違いはきわめて大きく、体力テストをすると4、5月生まれの成績がよくなります。結果として、早生まれの子供の才能を発見しにくいのです。このような経験則に基づいて、才能を見出すためのプログラムが開発・試行されています。面白いもので、休み時間はいつも教室の中で遊んでいる子供の中にも高い身体能力の持ち主がいて、そのことを知らせるとスポーツが好きになるという例が見られます。外で遊ぶ機会が昔に比べると減っているので、スポーツの楽しさを知らない子供も増えているのです。その意味では、発掘の「し甲斐」がある環境だと言えるのでしょう。

 ところで、競技はもちろんサッカーだけではありません。もしすべての競技がそれぞれ別個に才能の早期発見を目指したらどうなってしまうのでしょう。子供の争奪戦が想定される−ひょっとすると、もう起きているのかもしれません。これは教育的な見地からは決して望ましいことではなく、いろいろな競技に小さな頃から親しむのが理想です。

 こういう議論になると、「いろいろな競技に親しむことが目的なら、学校の体育や部活動で十分ではないか」という意見がありそうです。しかしこの意見には2つの問題があります。第一は、体育の教育・指導に携わって居られる方からは叱られそうですが、日本人には「体育嫌いのスポーツ好き」が多いらしいという点です。もちろん、スポーツにはあまり興味はないけれど学校の体育は好きだったし得意だったという人もいるでしょう。人それぞれなのですが、生涯にわたって運動を続ける直接の契機は、体育ではなくてスポーツのように思えるのです。第二は、いろいろな競技の指導者が、つねに学校に揃って居るわけではないという点です。国語の先生が水泳のライセンスを持っているということもなくはないのですが例外的であり、指導者は絶対的に不足しています。今のところ、スポーツの指導者と環境に運よく巡り合った子供が、スポーツをするという習慣を獲得しているのだとすると、中学校の学区より広い地域に、いろいろなスポーツに参加できる組織があり、指導者がいて、そこで親も子も競技に親しむというのが当面の目標になるのでしょう。

 Jリーグはその百年構想において、Jクラブ(チーム運営会社)が地域のスポーツの核となり、サッカーに限らず、いろいろなスポーツの組織化を行うことを構想しています。そしてまだ一部ではありますが、この構想は実現され始めています。各Jクラブの活動を見ていると、サッカー以外の種目で何を実施していくかというのは、それぞれのクラブ、地域で異なっています。女子サッカー、フットサルが多いようですが、ビーチバレーやバスケットボールも強いチームができはじめています。

 もちろん、Jクラブの活動だけでは、すべての競技を網羅することはできません。その点は体育や部活動と同じです。したがって、Jクラブが行うスポーツは、体育や部活動で実施されない競技を補完するものになるかもしれません。例えば競技人口の少ないスポーツであれば、学校ではなく地域が組織化の単位になることにメリットがあります。

 とはいえ、Jクラブの役割は補完だけではありません。そうでなくても構わないのです。学校の部活なら、チームは1つの競技について1つだけですが、地域のクラブなら、人気のある競技なら3つあってもいいでしょう。学校の部活、Jクラブが運営しているチーム、地元企業からグラウンドや体育館を無償で借りて活動しているクラブ・・・こういった多様なものが存在していることが、いわば理想です。

 では、この理想を現実のものにするためには、どうすればよいのでしょう。今のところ、「これだ」というような、決定的な施策はないように思います。一方でJリーグが示しているのは、理想に向かって一歩近づくことはできるのだという点です。その方法は唯一無二のものではありませんが、手本や見本には、なるでしょう。私が重要だと思うのは、地域のスポーツを立ち上げるのは、その競技の上部団体ではなく、むしろ「その地域ですでに組織として確立された別の競技」であるという、ひとつのビジネスモデルが形成されたという点です。もちろん、上部団体の支援は不可欠ですが、上部団体は当事者にはなれません。その点は、行政と同じです。必要なのは当事者であり、その能力は無からは生まれません。その意味では、「その地域ですでに組織として確立された別の(特定の)競技」は、その地域のスポーツにとって一種の「頂点」なのであり、これを原点として、底辺(他の競技)に向けて、普及と育成の活動が実施されていくべきなのです。換言すれば、種目を超えたピラミッドとトライアングルが形成されていくことが、地域スポーツの発展の条件になっていくものと思われます。そしてそのためには、地域でスポーツやその指導、普及に携わっている人々が、種目を超えた活動に参画していくことが不可欠だと考えています。

 ですから、関係者の競技横断的で積極的な「参画」を期待し、Jリーグのスローガンをお示しして、この連載を了えたいと思います。

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