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日本サッカーの現在とスポーツの未来

第1回:反−重力のピラミッド
2006年6月
武藤泰明

 ワールドカップ・サッカーのドイツ大会が始まりました。本稿が配信されている頃には一次リーグもおわり、決勝トーナメント出場国も決まっているのでしょう。日本代表には、存分にその力を発揮して欲しいと思いますが、結果帰趨はともかくとして、日本代表が3大会連続して本大会に出場するというのは、昔なら考えられないようなことでした。もちろん、出場枠が広がったということもありますが、日本がワールドカップの「常連」になったことは、日本サッカー界のいわば戦略が奏功したことの現れであるといえるでしょう。

 私は、Jリーグの経営諮問委員長として、日本のサッカーを、自分の専門であるマネジメントの観点から微力ながら支援していますが、そのような立場から日本サッカーを見ていて思うのは、日本サッカーが、わが国のスポーツのあり方について、一つのモデルを提示できるようになってきたのではないかという点です。本稿では、このモデルを検討することにより、日本のスポーツ振興の進むべき方向を示すことを試みてみたいと思います。なお筆者は大学を本務とする者ですので、本稿で意見に該当する部分は、日本サッカー界の見解ではなく私見です。事実認識やその解釈も含め、当事者とは異なるところもあると思います。ご高評、そして厳しいご指摘をいただければと思います。

底辺か頂点か

 スポーツの強化・・・競技においてより高い成果を上げるための諸施策であり、必ずしも人材の能力向上に限定されない。たとえば練習場を整備するとか、定期的に試合を行うというのも強化の重要な手段である・・・には、「底辺論」と「頂点論」とでもいうべき、ふたつの考え方が共存しています。これらは二者択一ではないとはいえ、思想としては対立するものだといえるでしょう。

 底辺論とは「底辺が広くなれば、自ずと頂点も高くなる」というものです。すなわち、この議論がゴールとして設定しているのは、頂点を高くすること・・・たとえば、オリンピックに代表されるような国際的な競技会で高い成果を上げることです。底辺を広げるとは、競技人口を増やすことです。確率論的に言えば、競技人口の中で能力の高い人の割合が一定であるとすると、競技人口という母集団が大きければ大きいほど、能力の高い人の実数が増え、結果としてメダルが近く、あるいは多くなると考えることができます。

 対極にあるのが「頂点論」です。頂点論は「底辺否定論」あるいは「底辺懐疑論」でもあります。それは、底辺を広げても、頂点は高くならないと主張します。頂点論とは、単純化していえば、「金メダルをとれば、底辺もひろがって、強化が実現される」というものです。

金メダルと波及効果

 現在の論調では、頂点論が優勢です。たとえば、トリノ五輪の女子フィギュアスケートで日本人選手が金メダルを獲得、また4位にも入賞しました。これに加えて、15歳の選手が、年齢制限でトリノには出場できませんでしたが、五輪に先行する競技会で他の選手を上回る成績を上げたこともあって、スケート教室に通う小学生が増えています。典型的な「頂点からの波及効果」だといえるでしょう。

 またこのような論調の副産物は、日本には、通年で利用できるアイススケートリンクが少なく、また減少していることが広く知られるようになったことです。そうなると、アイススケートリンクの経営主体は、開場期間を短くすることが難しくなるでしょう。スケート人口が増えれば、リンクの採算は改善されるかもしれません。また「もと五輪選手によるスケート教室」にスポンサーがついて、開場費用の一部を実質的に負担してくれるようになるかもしれません。これも波及効果です。

 このような推測には重要な意味があります。それは、頂点か底辺かという議論以前の問題として、底辺を広げるのは、実はかなり難しい・・・というより、ほとんど不可能−不可能といってはいけないとすると、とても時間がかかるというのが事実だということがわかってくるのです。

 女子フィギュアスケートの例を続ければ、トリノでメダルがなかった・・・それどころか入賞もなかったと仮定します。この場合、頂点論にしたがって、「頂点から強化を実現する」ことはできません。できるのは「ふたたび頂点をめざす」ことです。では、頂点から強化を実現することのかわりに、底辺を広げることはできるのでしょうか。

 日本選手が入賞できなかった理由の一つとして、通年利用できるリンクが少ないという指摘は、なされるかもしれません。しかし、スケート教室に通う子供が増えることはなかったでしょうし、スケート場を通年利用できるようにするためにスポンサーになることを検討する会社が急に増えるとも思えません。したがって、底辺を広げるためには

  • オリンピックで入賞するようなスター選手のいない種目の関係者が
  • スケート場に通年開場を呼びかけ
  • 人気のない競技をやってみないかと子供と保護者に声をかける
という、あまり成功しそうにない活動から出発することになります。道のりは、いかにも遠いのです。

「反―力学」のピラミッド

 一方で、底辺から頂点にかけての選抜・強化システムが存在している競技も多くあります。たとえば野球がそうです。プロ野球選手になりたいと思う子供はたくさんいます。これを言わば「希望の頂点」として大学には複数のリーグがあり、高校野球では強豪校に全国から子供が集まり、これらの子供たちは中学やリトルリーグで早くから才能を認められた「英才」です。

 この例の場合、野球選手は、中学ないしリトルリーグという底辺から、高校野球、場合によってはその後大学リーグと社会人野球を経由してプロにいたるという「ピラミッドの上方移動」をしているといえます。しかしこれは「底辺が先にあった」ことを意味しません。出来上がったピラミッドを見ると、物理学に慣れ親しんだわれわれは、下からそれができているように感じます。エジプトのピラミッドも大阪城も、下から積み上げて作ったものでありそれが重力の論理です。しかしスポーツのピラミッドは、力学的な世界に属するものではなく、上から作られることが多いのです。

 たとえば、日本の女子バレーボールは、1964年の東京オリンピックで金メダルを獲得しましたが、男女のバレーボールで日本リーグが始まったのは、1967年でした。これ以前の大会は、数日間のトーナメント方式で実施されていました。仕事の傍ら短期間のトーナメント戦に出場している選手の中から日本代表を選び、強化し、女子は金、男子も銅メダルを獲得し、これを契機としてリーグができました。すなわち、頂点が先にできているのです。

 とはいえ、誰かがメダルを取り、後が続かないということもあります。重要なのは、頂点を形成するだけでなく、それをきっかけとして、ピラミッドを作っていくこと、あるいは、頂点を形成するためのアクティビティを、底辺の拡大に向けてのアクティビティと連動させていくことであるといえるでしょう。

日本サッカーは頂点を原点にしている

 そして現在、おそらくこのような活動をうまく軌道に載せている競技の一つがサッカーです。もちろん、日本のサッカーは1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得はしたものの、その後はメダルから遠ざかっています。ワールドカップの順位も2002年のベスト16が最高です。その前のフランス大会では一勝もできませんでした。したがって、サッカーにおいて「頂点」が形成されたのかといえば、もちろん「否」です。しかし、重要なのは、サッカー関係者が、頂点を意識して活動しているという点です。具体的には、2005年1月に公表された「JFA2005年宣言」では

  • 2015年までに日本代表が世界のトップ10になる
  • 2050年までに日本でワールドカップを開催し、日本代表がその大会で優勝する
という目標が掲げられています。日本のサッカーは、45年かけて頂点を目指すのだということです。

 またこの頂点は、最近になって意識され始めたものではありません。日本のサッカーは80年代から頂点を目標とし、そのためのピラミッドを作っています。そしてこのピラミッドで、「頂点に一番近い底辺」に位置づけられているのがJリーグなのです。もちろん、Jリーグは一般論としては底辺ではなく、前述したプロ野球と同じ意味で一種の頂点です。しかし視点を代表という頂点に置き、これを原点として見ればその「直下」にあるのはJリーグであり、その意味において、Jリーグは底辺なのです。そしてそのJリーグは、1993年に10クラブでスタートし、やがてJ2が生まれ、2006年のシーズンはJ1、J2合計で31クラブとなりました。またJリーグに入会を希望するチームないし地域は、30程度あると言われています。Jリーグはその百年構想において、都道府県に1つのクラブがある状態を目標としました。要は47クラブです。現状の31に入会希望を加えると、全ての都道府県を網羅するかどうかは別として、47を超えることとなります。見事に、「頂点付近の底辺」あるいは「裾野」が、少しずつ・・・とはいえかなりのスピードでひろがっているのです。ピラミッドは、頂点を原点として、下に向かって拡大しています。


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