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読者が拓く!バスケットボール

第1回:メジャーへのもう一つの道
2006年10月
武藤泰明

 考えてみると、バスケットボールというのも不思議なスポーツである。

 女子はオリンピックレベルなのだけれどこれは一旦措くとして、男子のほうは、世界レベルには達していない。日本で最近開催された国際大会をみていても、どうしようもなく水準が違うという気はしないものの、結局勝てない。ずっとそうなのだ。そして、そうであるにもかかわらず、余暇・レジャー総合統計年報2004年版によれば、「十代の男女が過去1年間に行った運動・スポーツ」の第1位はバスケットボールなのである。

 サッカーのJリーグという、いわゆるトップスポーツにかかわる仕事をしていて感じるのは、トップスポーツという頂点と、ふだんいろいろな人がスポーツをしている底辺との関係についての基本的な考え方は、頂点が先にあるというものだということである。もう少し具体的に言えば、日本代表クラスのレベルが上がることによって、底辺もひろがっていくのだと考えられている。そしてこれはサッカーに限ったことではない。たとえばフィギュアスケートは、荒川静香選手が金メダルをとったことによって、競技人口が増えているはずである。シンクロナイズド・スイミングも、おそらくは同じだろう。スポーツのピラミッドは、重力に反して、上から下へと作られていく。少くとも、上記のようなスポーツの関係者は、そう考えている。

 しかし、バスケットには、これがうまくあてはまらない。日本代表の順位に関係なく、きわめて多くの人々が、バスケットをしている。つまり、頂点とは無関係に、底辺が歴然と、そして自律的に存在しているのだ。だから、細かい定義とか、そんなことはとりあえず無視して言ってしまえば、バスケットは国民スポーツ、あるいは市民スポーツとして、サッカーをはじめとする、世界レベルに日本が到達している、あるいはしようとしている競技よりも、成熟しているのだということになるのだろう。

 どうしてそうなったのか、なり得たかというのは、私のような職業の人間が考えたがるテーマである。それが不必要だというつもりもないのだけれど、せっかくバスケットがここまで、良い意味で成熟したスポーツになっているのなら、そのバスケットにかかわっている人々は、あまり後ろ向きのことを考えずに、
☆☆ここまでメジャーになったバスケットに、これから一体どんなことができるんだろう?
とか
☆☆このままバスケットがもっとメジャーになっていくとすると、一体何が起きるんだろう?
と、前向きに考えるほうが生産的だし楽しいはずである。そう、バスケットは、市民スポーツとしては、すでにメジャーなのである。すべての発想は、そこから始めなければならない。そして発想するのは、日本バスケットボール協会やbjリーグの人々ではなく、ふだんそのあたりでたまにボールにさわっている人でなければならない。上意下達、中央集権とは異なる仕組みを持っていることは、国でも企業でも学校でも、もちろんスポーツにおいても、進歩のために不可欠である。だからこれを今読んでいる人は、バスケットの進歩に参加することができるのだ。

 では、バスケットはどうすればもっとメジャーになるのか。こう考える場合、メジャーになることの条件を「NBAの日本人選手が増えること」とか「オリンピックに出場すること」としてしまうと、夢はたちまち私たちの手を離れて遠くへ行ってしまう。そういう目標を持つ人や協会があってもよい。それを否定するのではなくて、自分たちでイメージできる「メジャー化目標」をつくることが重要なのである。

 例として私の勝手な想像を示すなら、街中のいろいろなところにゴールを置く。できればボールも借りられる。候補地となるのは、コンビニやパチンコ店の駐車場。学習塾にゴール設置を義務づけるというのも面白いかもしれない。可搬式のゴールは倒れると危ないというのであればボードをなくしてリングだけにすれば軽くなる。あるいは、空き地にゴールを置けば固定資産税を軽くするとか、飲料の自販機を3台以上置く場合はゴールを置くか買うというのでもよいだろう。ムチャクチャにきこえるかもしれないが、何かが始まる時に、なければならないのは何より自由な発想と熱意なのである。

 バスケットの最大の長所は、究極的には一人でもできるという点である。一人遊びをしている二人が、一つのゴールを一緒に使っているのでもいい。そんなのがいわば「原風景」になって、いつの間にかプレイヤーが増えて、試合をしてみたら何だかやたら上手くて強い…というのが、私のとりあえずの夢である。歴史上はじめて、コンビニの駐車場から何かが生まれるのだ。

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